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執筆者の写真須賀雅子

㊲「新年度」

 「4月から孫が幼稚園に通い始めるんです」

 「4月には、うちの子、中学生です」

こんな会話をご近所の方とする季節になりました。桜の開花と共に新しい生活の節目が感じられます。

 日本では「新年度」というと、国や自治体の「会計年度」と児童•生徒の学年を分ける「学校年度」の2つが大きな年度になり、4月始まりとなっています。しかし、海外では「会計年度」と「学校年度」の不一致が普通のことで、「学校年度」については、9月始まりが圧倒的に多いそうです。

 そこで、歴史好きの私としては、まず「学校年度」から調べてゆきました。

江戸時代の寺子屋や明治時代初期の学校においては、入学や進級時期について特別な決まり事はなく、いつでも入学できるし、進級についても各個人の能力に応じたものだったそうです。ただし、子供の寺子屋入学は一家のおめでたい事だったので、気候の良い春先が選ばれることが多かったようです。

 それでは、「会計年度」はどうだったのかというと、江戸時代は米による税金の納付で年貢米と言われていましたが、明治時代になってからの税金は、全て現金による納付となりました。

そのため、米の収穫を終え、それを売って現金に換え、それから納税するという手間が必要になったのです。もし12月末を年度の区切りとすると、稲作の収穫から4ヶ月しかないので、米の換金、納税、翌年度の予算組みをするには時間的余裕がなかったので、明治19年度から正式に4月が年度初めとなったそうです。

4月年度初めの採用には他にも理由があったようで……。

当時の財務大臣が、任期中の赤字計上を嫌ったため、7月の年度初めを4月にすることで、赤字が見込まれた明治18年度を短くし、財政赤字を免れたという記録が残っているそうです。

 江戸から明治への移り変わりは、実に大変な時期だったのでしょう。

諸外国と足並みを揃えるために多くの制度に取り組まなければならなかったのですから。

年度の区切りも、明治の初め頃は頻繁に変わっていたようです。

 それでは何故、この「会計年度」に「学校年度」が付随しているのかというと……。

日本では、学校令が公布された明治19年においては、学校が全て国公立であった関係上、その形が現在も継承されているそうです。

しかし新型コロナによって、休校や入学式中止など学校への影響が多く出ている中、「9月入学」

「9月新学期」への制度変更をめぐる声も上がっているようです。

 「新年度」私も感じたくなり、ある物を購入しました。

それは、「中学校3年間の英語が1冊でしっかりわかる本」と「中学校3年間の数学が1冊でしっかりわかる本」という教本です。

本の内容紹介にあった「大人の学び直し用」という言葉に惹かれてしまいました。

しっかり身に付いているわけではない英語と、苦手だった数学を学び直したいと思いました。

さぁ!私、4月から中学生。「新年度」頑張ります!


メッセージ、お待ちしております。

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