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執筆者の写真須賀雅子

㊺「コーヒー栽培奮闘記・その後」

 やりました!

コナコーヒーの木を栽培し、とうとうそのコーヒーを口にすることが出来ました!

4年程前、ハワイ島コナ空港からお土産として持ち帰ったコーヒーの苗木はすくすくと育ち、コナスノーと呼ばれる白い可憐な花を咲かせ、真っ赤な実をつけるまでになりました。

 ここまでは前回のブログでお話しましたが、その後が大変でした。

実を収穫するタイミングをハワイ島の友人に聞いたり、日本でコーヒーの木を栽培している人の体験談をインターネットで探してみたり、全く知識の無いことに挑むのは不安でした。

しかし、我が家で赤く色づいてくれたコーヒーの実を見ていると、なんとしても「コーヒー」にしなくてはと思ったのです。


 その工程をご紹介します。


① コーヒーチェリーと呼ばれる実を収穫。(27粒でした……)



② 外側の赤い果肉を取り外します。(甘い味がしました)



③ 生豆の表面のヌルヌルを洗います。(ひとつの実の中にふた粒)



④ 天日干し(形はコーヒー豆)



⑤ 焙煎(体験ブログを書いている方たちの推奨器具を購入)



⑥ 豆を挽く(色むらが気になりましたが……)



⑦ ドリップして完成(ほんの一口50ccでした)




 夫と二人、この工程を大騒ぎしながら進めました。

出来上がったコーヒーの量は、ほんの少しでしたが、コーヒーの栽培者、製造者の苦労に思いを馳せながら、充実した気分でいっぱいになりました。

自家栽培・自家焙煎の喫茶店を開くのは難しそうですが、コーヒーに対する関心は強まりました。


 日本で最初の喫茶店は、明治21年4月13日に上野で開店した「可否茶館」だったそうです。

海外渡航経験のあるオーナーは、欧化主義に振り回される上流階級のみの鹿鳴館に対して痛烈な批判を抱いていました。そこで、庶民の共通のサロン、知識の広場として「可否茶館」を開きました。そこには、ビリヤード、トランプ、碁、将棋など娯楽だけでなく、更衣室、シャワー室まで完備していたそうです。さらに硯と筆、便箋、封筒も常備してあり、国内外の新聞や雑誌まで置いてあったというのですから、実に心豊かに過ごせる喫茶店ですよね。

気になるのは値段です。可否茶館では、コーヒーは一銭五厘、牛乳入りコーヒーは二銭でした。

当時、蕎麦の値段が八厘から一銭でしたので、決して安くはなく、5年足らずで閉店してしまいました。

しかし、オーナーの理念、志には大いに賞賛されるべきものがあると思いました。

「可否茶館」が開店した4月13日は「喫茶店の日」だそうです。




メッセージ、お待ちしております。

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