赤く色付きました!
以前、「コナスノー」という題名でブログでご紹介した我が家のコーヒーの木。
純白の可憐な花を咲かせてくれたので、頬紅の筆でチョンチョンと触れて人工授粉に挑みました。そうすると嬉しいことに緑色の実が姿を現したのです。
その実が少しずつ赤みを増してきました。
コーヒーの実は、赤く熟すとサクランボのようになることから、「コーヒーチェリー」と呼ばれています。その「コーヒーチェリー」に我が家で出会う事ができるとは何て幸せなんだろうと感じ入っていましたが……さぁ、これからどのように接して行けば良いのか、困ってしまったのです。
この実を収穫し、コーヒーの生豆を取り出し、焙煎しなくてはコナコーヒーを味わうことができないのです。そこで只今、情報を取集しているところなんです。
「コーヒーチェリー」を見つめていると、あのコーヒーに姿を変えてゆく事が実に不思議に思われました。最初に発見した人は偉大だなぁと呟いているうちに、私の知りたがり虫がウズウズと動き出していました。
コーヒー発見伝説は諸説ありましたが、今回は私が心惹かれた伝説をご紹介します。
『昔々、エチオピア・アシビニア高原に、カルディというアラビア人の若い山羊飼いがいました。
ある日のこと、騒がしく飛び跳ねる山羊の姿を不思議に思い観察していると、あたりに茂る赤い実を食べていることに気づきました。
カルディがその実を口にすると、爽快な気分や仕事への活力が得られたのです。
そこでカルディは、この不思議な木の実のことを尊敬する修道士に伝えます。すると、夜通し続く修道院の儀式に参加する弟子たちの居眠り防止として重宝されました』
その後、日本にコーヒーが伝わったのは、1640年代・江戸時代の長崎出島と言われています。
オランダ商人によって持ち込まれたコーヒーは、「長崎寄合町諸事書上控」の中に最初の記録があります。
『コヲヒ豆一箱。チョクラート』長崎丸山の遊女への贈り物の一つとしての文章です。
しかし、他の文献ではコーヒーのことを『焦げ臭くて味わうに耐えず』と記されていて、日本人には、なかなか受け入れられなかったようです。
江戸時代末期に、長崎出島のオランダ商館にやってきた医師シーボルトは、日本ではコーヒーを飲む文化がないことに驚きました。そして、日本人がコーヒーを飲まないのは勧め方が悪いからだと考え、コーヒーを身体に良いもの「薬」として紹介します。
私にとってコーヒーは、薬という受け止め方はしていませんでしたが、日常生活の中で一息つくために大切なものになっています。
そして、コーヒーの木の栽培を始めてからは、その成長ぶりから生きる活力を貰っているようです。
さぁ、この後はコーヒーの実の収穫が待っています。赤い果肉の味を体験するのが楽しみで毎日心が弾んでいます。
そうすると……シーボルトさんの仰る通り、コーヒーは私にとって「心の薬」なのかもしれませんね。
メッセージ、お待ちしております。
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