拙者親方と申すは、お立ち会いの内にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて青物町を登りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して円斎と名乗りまする。
これは!歌舞伎十八番のひとつ「外郎売り」の冒頭部分です。
二代目市川團十郎が1718年に初演し、早口の自在な言い立ての面白さで大評判となりました。
以後、代々の團十郎が演じ、幕末に七代目團十郎が市川家のお家芸として選定した「歌舞伎十八番」のひとつに加えました。
今では、アナウンサーや役者など、声を使って仕事をしている人たちの間で、発声・発音のトレーニング教材として利用されているのです。
我が「Mako’s 話し方サロン」でも、生徒さんたちが挑んでくれています。
さて!「歌舞伎十八番」の「十八番」を「おはこ」とも読みますが、この由来をご存知でしょうか?
「私のカラオケのおはこは、石川さゆりの『津軽海峡冬景色』かなぁ」といったふうに使う言葉ですよね。
市川家にとっては、この十八演目の台本は家宝と言ってもよいもので、代々の当主はこれらを立派な箱に入れて大切に保管していました。
立派な箱、つまり「御箱」と言えば、この「歌舞伎十八番」のことを指す言葉になったそうです。
さて!さて! 須賀家にこれといった家宝はありませんが、私が大切に保管しなくてはと思った物も台本でした。朗読の台本です。
これまで勉強してきたもの、実際に舞台でお客さまに聴いていただいたもの。きちんと整理整頓した上で大切に保管しなくてはと反省し、本棚から取り出しましたら、一冊一冊に、その時々の思い出が溢れ出して、速やかな作業とはなりませんでした。
これは、たまってしまった写真をアルバムに収める作業と同じだなぁと感じながら、台本を手にしページをめくっていました。
その中で一番古いものは、TBSのアナウンサー時代に先輩たちと出演した「母と子の朗読コンサート」の台本でした。旧姓の野口雅子という文字を目にして、心は一気に20代に戻ってしまいました。
演出家に指導を受けて書き込んだ文字も愛おしく感じられます。会場は今はもう無いTBSホールでした。その時ホールに響いた子供たちの素直な歓声や笑い声が蘇ってきました。
不思議ですね、もう34年も昔のことですのに。
その後、朗読の勉強をし直しましたので、いろいろな舞台に立たせて頂き、いろいろな台本が手元に残っています。
その中で、深く心に残っているのは、朗読の師匠が入院中の病室で稽古をつけてくださった台本なのです。舞台の前には師匠の稽古を受け、心落ち着かせてから挑んでいました。しかしその時には師匠が入院されていて、今回は自分一人で練習を積んで行かなくてはと思っていました。
そこへ師匠からのメールが届いたのです。
「マコ、病院に来てくれるかしら。お稽古しましょう。個室だから大丈夫よ」
病室での稽古でも師匠は変わらず熱心で、途中、病室にいらした担当医や看護師さんも驚いていらっしゃいました。その台本を久しぶりに手にすると師匠の心の温かさが伝わってきました。
さあ!現在の私は、生徒さんの台本装丁のお手伝いをしています。
私の朗読会は毎年開いてきましたが、生徒さんの朗読発表会を初めて開けることになりました。
本番に向けて、それぞれの台本に心が注がれていっています。
自分の朗読会よりドキドキワクワクしながら、また、大切な台本が増えてゆくことを幸せに感じています。
メッセージ、お待ちしております。
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