2021年もあと数日となり、 今年のカレンダーを見返してみました。
数年前のカレンダーより予定の書き込みが少なく、寂しさが漂っていました。コロナ禍で行動範囲は限られてしまったのです。
そのカレンダーを眺めていたら、私の「知りたがり虫」が、ムズムズ動き出しましたので、「暦」について調べてみました。
暦は中国から朝鮮半島を通して日本に伝わったそうです。
大和朝廷は、暦を作成するための暦法や天文地理を学ぶために、朝鮮半島の百済から僧侶を招いて、飛鳥時代の604年に日本最初の暦が作られたと伝えられています。
現在私たちが使用している暦は「太陽暦」と呼ばれ、地球が太陽の周りを一回転する期間を基にしていて、明治6年(1873)からのものです。
では、それまでの暦はどうだったかというと、月が地球をまわる周期による「太陰太陽暦」でした。周期は29.5日だったので30日と29日の月を作って調整し、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼んでいました。
しかし、大小の月の繰り返しだけでは暦と季節が合わなくなってきましたので、2〜3年に一度は閏月(うるうづき)を設けて、毎年、次の年の暦を計算して決定するので「大小の月」の並び方も毎年変わったそうです。
そのため、毎年、月の大小の並び方、閏月を知ることは人々にとって非常に重要なことだったのです。
商店では月末に支払いや代金の取り立てをするので、「大小の月」を間違わないように、月に合わせて店頭に「大」と「小」の看板をかけていました。
暦がだんだん普及してくると、江戸時代には「大小の月」の並べ方だけを示す「大小暦」と呼ばれた暦が登場します。ただ大小の月を示すだけでなく、絵や文章の中に折り込み、工夫を凝らして楽しむようになったそうです。年の初めには「大小会」を開いて交換したり、贈り物として配られたりしました。その製作に葛飾北斎や鳥居清長といった有名画家も名を連ねているのです。
私は、謎解きのような「大小暦」を知って、江戸時代の洒落心に改めて感心してしまいました。
実にたくさんある「大小暦」の中で、私が一番惹きつけられたものをご紹介します。
1787年天明7年の大小暦「歌舞伎役者扇絵」です。
扇に歌舞伎役者の絵柄が散りばめてありますが、大小はどこで見分けるのかお分かりになりますか?
立役(男性の役)が大の月、女形(女性の役)が小の月を示しています。
右上から扇が流れるように続いていますので、一月は赤い隈取りをした5世市川團十郎の「暫(しばらく)」だそうです。
当時の人気役者を描いていますので、着物についている紋所から、当時の人は役者の名前まで分かったそうなのです。
ひねりを効かせた面白みを生活の中に取り入れていた江戸時代の人々に、心の中で大きな拍手を送りました。そして前に進むための活力を頂いたような心持ちになれました。
来年の暦・カレンダーには、楽しい予定がたくさん書き込まれ、そして実現できることを心から願っています。
メッセージ、お待ちしております。
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