「そうだ!奈良に行こう‼︎」還暦を過ぎた夫婦はそう思い立ちました。
私たちは京都を訪れることはあっても、奈良に足を運んだのは中学校の修学旅行だけでした。
お互い何処を見学したのか思い出してみると……東大寺の大仏や法隆寺の百済観音像は観たはずだし、奈良公園の鹿に鹿せんべいを食べさせたような気がする。
しかし、その思い出はあまりにもぼんやりとしていて、鮮明に思い出されたのは、当時、気になっていた異性の動向をドキドキしながら目で追っていたことや、夜の宿舎で枕投げにワクワクしたことだけでした。なんと情けないことでしょう。そこで私たちは、深く反省し修学旅行をやり直すことにしたのです。「大人の修学旅行」です。
今回は、訪れる場所の勉強を自主的にして挑みました。
「奈良公園の鹿」は、奈良時代の731年にタケミカヅチノミコトが茨城県の鹿島神宮から、奈良の地に移られる時に白鹿の背に乗ってこられたという伝承から、春日大社の神鹿とされ、現在は国の天然記念物に指定され保護されています。2020年の調査によると1286頭の鹿が奈良公園内に生息しているそうです。
鹿の主な食べ物は、奈良公園や若草山の芝、ススキ、イネ科の植物で、鹿せんべいは鹿にとっての「おやつ」なのですね。その「おやつ」も食べ過ぎるとお腹の調子を崩してしまい、2018年から2019年頃、外国からの観光客が多かった時には問題になったそうです。
奈良公園の至る所に姿を見せる鹿たちに実際に会ってみると、事前の学習のせいか、より愛おしく感じられました。
そして「東大寺の大仏」は大きかったことは記憶していましたが、創建された鎌倉時代・天平年間の社会不安を知ると、743年に発願した聖武天皇の強い思いが、大仏の大きさから伝わってきました。天平年間は政権争いが絶えず、疫病や飢饉、大地震に苦しめられていた時代だったそうです。そこで、権力者の命令によって大仏を造るのではなく、賛同する国民を集めて共に平和のために力を合わせることを呼びかけられたそうです。寄付や労力によって協力した人々は約260万人。当時の人口の半分もの人々の思いが込められていたのですね。
奈良の大仏の正式名称は「盧舎那仏」です。
高さ約15m、顔の幅約3.2m、手の大きさ約2.5m。およそ50年ぶりにお会いしたそのお姿は、大きさだけでなく、包み込まれるような深い暖かさを感じました。
「法隆寺」では忘れられない出来事がありました。
百済観音像を観ようと足を進めていると、修学旅行の男子中学生が10人ほど、百済観音像を取り囲んでいました。その後ろから私たち「大人の修学旅行生」が2m程の観音像を見上げていますと、男子中学生の中の一人が同級生たちを促して、私たちが観やすいように場所を譲ってくれたのです。付き添いの先生から、他の観光客の邪魔にならないようにと言われていたのでしょう。そのさりげない行動に嬉しくなりましたが、私は彼らにこう話しかけました。
「ありがとう。おばちゃんたちも中学校の修学旅行でここに来たの。でも、その時きちんと観ていなかったから反省しているのよ。だから貴方がたは、ゆっくりきちんと観て、心に刻み込んで
くださいね」
すると同級生たちを促してくれた男子中学生が、こんなふうに応えてくれたのです。
「お二人もゆっくり観てください。きっと思い出されますよ」
10代の修学旅行生と60代の修学旅行生の短い触れ合いでしたが、百済観音さまが優美で慈悲深い表情で私たちを包み込んで下さったような気がしました。
「奈良での大人の修学旅行」は格別の旅となりました。
メッセージ、お待ちしております。
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